昭和40年08月22日 夜の御理解
毎日、建築員の方達によって、現場の奉仕が終日、毎日本当3名4名の方達が奉仕致しております。今日も、久富勇さんですか、「森光政昭?」さん、それから、「佐田恭造さん?」3人の方達がお届け頂きまして、丁度時間に森光さんが見えられました。で、私ここから、森光さん、今日は、お暑いのに御苦労さんですって、私が申しましたら、、もうそのがですね、もうそげなだんじゃございません、とこう言われる。「カチッー」とその時お勇みがありましたですね。
御用というのは、もうこういうものでなかなければいけないと思うですね。当番になっとるけん、暑かばってんいかじゃこてといったようなもんじゃなくって、やっぱ折角、ああその、ああじゃって違うもんじゃけん、まぁ用もあるばってん行かじゃこて、といったようなものであったら、勿論、してはならないのですけども、ただんならそれも、ああその御用と言うてもです、とこういう、それなんです。
ね、本当に何も、御用の一つも出来ません、もうせめてこのくらいな事はさせて頂かにゃ、相済んませんという、その内容なんです。これはなら毎日、どういう、なら御用が出来ておりましてもです。ね、熱いこの気持ちがいるんじゃなかろうかと思うんですね。こうでもさせて頂いて、本当に毎日、熱心な御用出来ておりましても、皆さん今週も御苦労さんと、神様からです。ね、
皆さん御苦労さん、とこう言われた時にです。私共がその、そげな段じゃありませんというようなものがです。そういうような物が、私は神様に通うて行く。ね、神様がそこを、神様が、お気付け下さった様な気がいたします。折角、皆さん信心をさせて頂くのでございますから、そういう神様に一言一言が通うて行くような信心にならせて頂くために、いわゆる、その信心の、態度というか、姿勢というか、神様に打ち向かうという、ね。一生懸命の信心がなさらなければ、神様の御恩徳が分からないのです。ね、
毎日のこうしてお参りを皆さんなさるんですけれども、参らせて頂く、ただ参ると、言うので大変な違い。ですから、本当にこの参らせて頂くなら参らせて頂くのにふさわしい、口だけは参らせて頂きました、おかげ頂きました、お引き寄せを頂きましたと。ね、参らせて頂かなければおられない内容というものが、必要だと私は思うです。ためには、私は日々、例えば、なら森光さんなんかは、成る程、月の内に、まぁそうですね、七、八回か十回ぐらいしかお参りがないでしょう。けども信心は、やはり長いです。
本当にもうこの初めの頃から、そして、こりゃもう本当に、やはり広大なおかげを次々と頂いておられます。ですから、その、そういうような、実感がです、言わば、言葉をついて出るのでございましょうけれどもです。なら、お互いがです、森光さんではなくて、もう日々広大無辺なおかげを頂いておる事を分らせて頂くために、本気の信心修行がなされなければ分からん。
例えば、御祈念をさせて頂くでも、ね、それこそ真心を込めて一心に、一生懸命、私は御祈念が出来なければいけんと思う。言わば、ごき、信心の稽古の前にまず、御祈念の稽古が出来にゃいかんと。ね。ただ座って、ごちゃごちゃ言うとるだけじゃつまらん。もう一心不乱という、一心不乱に大祓いなら大祓いが奏上されて、しかも腹の底から、もう汗がぶるぶる出て来る。ね、夏でも、やはり汗ばむくらいな、私元気な心で神様に打ち向かわなければ駄目なのです。
そして、私共がどのような御用をさせて頂きましてもです。ね、また、刷新させて頂く様々な御用でもです、ね、の森光さんの、本当に森光さんこの暑いのに御苦労さんと。例えば神様から声をかけられておるような思い。それに対して、というような物が果たしてあるかないかと、いう事を確かめならがね、御用させてもらわならんと、ために、本気で一つ信心の稽古しなければいけませんね。
どうぞ。